どーもどーも 石井です
前回なんとなく流れでつい孫子に行ってしまいました。
そう言えば、孫子と言うのは約2500年前の中国の春秋・戦国時代諸子百家の一人です。
また、論語で有名な孔子も全く同じ時期に生まれています。
この二人が知り合いだったかはわかりませんが、共通項は色々とありますので、
お互い知りえていたものと推測します。
この”子”ってついていますけど、簡単に言えばこれは尊称でいわば先生と言った意味です。
この頃の中国の有名な思想家や戦略家達は人間の心理をよく読み、
それをまさに利用していると言えますよね。
この頃の中国は、まだこの先に秦(キングダムで有名)が中国を統一するまでは、
幾つもの国があり、その国ごとに多くの思想家が生まれてゆきました。
秦の始皇帝(政)は韓非子を読み感銘を受けたそうです。
韓非子とは、以前良く孫子、呉子、と並んで語られていたと思いましたが、
韓非子は徹底した合理的思想家、そして生悪説(荀子)を学んだ事から、
始皇帝に評価されたのではないかと考えられます。
なぜならば、秦には春秋・戦国時代に商鞅と言う人が来て重宝され、
その後にこの商鞅が法律を作り、
初の法治国家として成り立ってきたからではないかと考えられます。
つまり、秦は法治によって国を固めてきたからこそ、そののち政が中華統一を成し遂げた後、
韓非子をこれもまた重宝したのではないでしょうか。
生悪説と言うのは、法律の基本的な要素であって、
人間は基本、甘い方に流れ易い事をしっかり分かっていて、
その甘い方、楽な方へと向かっていく。
自分さえよければ、いい考えが生まれ持った考えであると言う事ではないですかね。
であるが為に、
それを上に立つものや決まりごとによって抑制してゆくといった考え方でしょうか。
そんな感じかと考えます。
確かに罪にとらわれなければ、
罰金が馳せられなければ、
車でもっとスピード出すでしょうし、
買い物をしてお金を払わないでしょうし、
などなど思い当たる事いっぱいです。
私は悪人ではありませんけど、
もしこの「法」と言うものが存在しなければ、
まあやりたい放題かもしれませんね。
ですので、基本的に生悪説は考えとしては間違ってはいないと思います。
それだけではないでしょうけれども。
個人的な疑問がここで生まれたのですが、
国が安定していれば、教育にお金が掛けられ多くの思想が生まれやすい、
と考えていたのですが、この時代、そうでもなかったのではないかと思います。
では、なぜこの時代に思想が多く生まれたのでしょうか?
恐らく推測ですが中国は国が統一されると、思想の統制が図られます。
これは大きな国をまとめるにはこの方法が一番良いからです。
ただしこの時代は多くの国がありました。
なので、国が思想統制を行っても多くの思想が生まれたのではないですかね?
それとも思想の統制はこの後からなのでしょうかね?
いずれにせよ、
この時代の思想が現代社会を作っている基本構想であった事は間違いではないですよね。
まあ現代でも、会社の社是社訓やクレドと言ったものはこの類なのでしょう。
なんだか、諸子百家の簡単な説明になってしまいましたね。
ちょっと支離滅裂になってしまいました。
次回からはしっかりと纏めますので、
今回はこれ以上になると夢中返って書いてしまう恐れがありますので、
ここらへんで止めます。